世界をもっと面白い場所にするために

世界は鏡。見る者によってその姿を変え、退屈も面白いも要はその人次第。

一時的なfunを提供するエンターテイナーにはなれなくても、
持続するinterestingを伝える文章の書き手にはなれるのではないかと模索中。
そんな風に批評家を気取る目指す者のnotes=メモ;短い手紙;声明;日常の様子

コメント・言及有トラバは批判も含めお気軽に


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比較的マトモな記事紹介(一言コメント付)  2005年9月〜12月  2006年1月〜3月4月〜6月7月〜9月10月〜12月

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まあ、実際、頭をバチコーンやられたくらいじゃ、
そんなに痛いわけでもない。

懲りないやつは性懲りもなくアホな行動を繰り返す。

それに対する体罰が動員しているのは「痛み」というよりは「恥ずかしさ」の感覚だろうと思うわけです。
ただ「ぶたれる」ことに対する「恥ずかしさ」が内面化(という言葉も不思議ですが)されている場合はまだしも、
実際に「世間(=クラスメイト)」による嘲笑という形でないと「恥ずかしさ」を感じないタイプの場合、
その「世間」を活性化させるのは、騒がしくなるので副作用も大きいのですよね。
一つの「ショー」を構築するということなので。

そしてそういう形ですら「注目」を浴びることに正の動機付けがなされてしまう子もいますし。

体罰なるものが「痛み」じゃなくて「恐怖」の次元まで、
「(圧倒的)暴力」の発動、具体的には、地面に転がす、
ってところまで時に行ってしまうのも、まあある程度イメージできるかなあという感じです。

「もっと構ってよ」「君だけを構う時間はないよ」
って応答なだけのはずなのに、なんでそんな悲惨なことになるのかってのは理不尽ですけど。

同じクラス(一応進度別に分けてる)内で、さらに三グループ位を並列処理していく作業。
できるだけ殺伐とはしたくないんですけど。

という感じだったのが、そのあと家庭教師先に行って元気になりました。
一人の子が躓いてるところの岩をちょちょいとどけて、
どんどんできるようにしていくのは楽しい作業です。



なんだろ、男の子のウジウジぐずぐずしたのって、
もちろん自分に重ねるからですけど、なんなんだろって思います。

承認欲求の強さというか。

「かわいい」みたいに気軽に掛けてもらえる肯定の言葉がないからかしらとか、
なんだか適当なことを考えてしまいます。



というふうに、できようができまいが基本的に女の子の生徒の方が好きなんですが、
なんかあるとき、この子でもこういうツマラナイ配慮とかして人を褒めたりするんだ、と思って、
次の瞬間、ああまたここでも「期待」とか「理想化」とかしちゃってるんだって思いました。



ただ前は、失敗したなあと思って次の日があるのが嫌でしたけど、
「ここをこう変えて、こうして」と考えて、
その結果をすぐに出せちゃう「明日」がめぐってくるのはポジティブに受け入れられて、
それはまあ楽しい類の苦悩だなあと思います。
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まつがいは誰にでもある。
というのを自分について確認しとくのも、悪くないとは思うけど。。。

はうあーっ。
読みまつがいが一番恥ずかしい。

言いまつがいや一時的などもりの中に「無意識」が出るのかは意見が分かれるでしょうが、
読みまつがいの中に、さまざまなものが現れるというのは一つの真理だと思う。



楽しい楽しいゼミが「涙の最終回」を迎えた。
レジュメや発表について、「師」から、また同門の受講者から多くを学びました。
最後はルヴェでお食事をして歓談。
あんなに楽しい時間を毎回イタトマで持っていた姉弟子には軽く嫉妬です。

一日に一つの講義(幽体離脱の契機に溢れているような、中身もあるけど自分の”考えたいこと”につなげて考えられる時間)と、
一つの幸せなゼミ(今日最終回だったゼミは受講者4人だった)があれば、
とろけたままに日々を送ることができるだろうと思う。

英語の詩の解釈のゼミとこれとで、
今学期の自分はもっていたなあと思います。

(やんごとなき受講者の多いゼミだということも判明)





これはタイトルの付け間違いだね。
だって「煩悩」という言葉が強すぎて「文法」の話だと思わないもの。

僕も確か本屋の平積みの棚では軽やかにスルーして、
404 Blog Not Found:知識と体験の違い - 書評 - 煩悩の文法:
を読んで、あれっ、文法の本だったの?と思って買ったのでした。

おとなしめに「体験談の文法」かあおっても「臨場感の文法」程度にしとけば、
きっちりと読者を囲うことができただろうに。
読んだら感想を書こうと思います。


にしても読みまつがい・・・
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草食系男子の恋愛学
草食系男子の恋愛学
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森岡正博
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いやあ、逆説的に「思想」って意味があるんだなあと思わせてくれる。
こういう形でpracticalな方向に踏み出されても全く役に立たないんだなって。
「無用なこと」をあほみたいにやってる方が有用だって、本当かよ?と突っ込みたくなる命題だけど、
森岡正博については真実な気がする。

感じない男 (ちくま新書)
森岡 正博
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おすすめ度の平均: 3.5
4 生命学の一表現
5 哲学って実はこういうことかも
2 カミングアウト=癒し!?
4 自分のことも考え直すと面白いかも
5 男女を問わず広く勧めたい一冊


がよかっただけに残念。


『草食系』のだめさはいろんな面から言えると思うけど、
間口の狭さというか、女性が読んでもぜんっぜん面白くないだろうな、ってのが第一にある。

「草食系」というあり方がどういう風に生じてきてという「遡り」ではなく、
前提として、解決すべき「問題」として、「草食系」があるってところからスタートしてるんだもの。

そこから強引にでも「現代」に広がっていく平面もなにもない。
著者は「モテ系」のhow toを仮想敵として書いたって言ってるけど、
つまらない仮想敵を立てることがいかに本をつまらなくするか!である。

「共有」の大切さを説きながら、「草食系」という問題を、
女性と「共有」しようという姿勢が欠片も見いだせない。
あくまで女性は定常の「環境」であって、そこへ「草食系」がいかに「適応」するかってだけの話。

しかもターゲットとなる「草食系」自体が定義があってないような対象だから、
女の子と食事に行く、というフェイズまでの話なのか、
それともそれ以降の恋愛の話なのか、ぜんぜん別物のはずの話がごっちゃになってる。

「草食系」って前者の関係まではどうとでもなるけど後者はね、って話のはずなのに、
著者の個人史的なところから前者の「非モテ」にまで照準する話になってる。


「モテ」と「非モテ」じゃない場所に「草食系」がいるんじゃないんかい?


しかもしかも、その処方箋が、「唯一性」幻想のオンパレードというか、
なんでそんなに「あなた一人を」って繰り返して「誠実さ」に訴えねばならないのか?

著者自身が指摘しているように、
「友愛」と「恋愛」が地続きならば、なんどもその境界領域に引き戻し、
話をかく乱させ、結論を先延ばしにし、という「思想」的な粘り強い営みの戦略を取るべきだったんじゃないんだろうか。

一つには、ごくごく個人的な、多分に偏見の混じった意見として、
「やさしさ」とか「誠実さ」って、量的なもので、言うなれば「価格競争」になっちゃうんじゃないの?
と思ってしまうわけです。
そうじゃなくって「質的に違う」っていうとこまでいかないと、経営が持たないでしょ?と。

もちろん、明示的に解答とされているわけではないにせよ、この本から読み取る限り、
著者の答えは「発見」の「共有」というところにいくのだろうけど、
これもまた一つの「初めて」幻想じゃないの?と思う。

特に、著者自身が称揚する「自分について今まで語れなかったこと」って、
大学を卒業するころにはそうそう存在しなくなってしまうものではないのかしら?
自分についての「初めて」、特に「過去」についての「初めて」って、
大学生活の間にだいたいクリアーされちゃうもんでしょ。

とすると「初めて」の「共有」による「二人だけの歴史」の構築という戦略で「唯一性」を担保するなら、
それはひたすらに「外界」に関しての「初めて/発見」を伴っていくもので、
その前向きな活力は決して閉塞した関係からは生まれてこないだろうと思うのだ。

その開かれた関係性について、「自由」についてこそ、
ロマンチックに暗示的に最終部に持ってくるのではなく、
紙幅を割いて具体的に論じるべきだったはずでしょ。

(ちょっと、子育て、は除きます)

さらに、以上が非常に観念的な批判だというのなら、
一つ具体的な問いとして、ある一定の期間「恋愛」をして、それで別れた「次」に、
はたしてどういう「恋愛」がありうるのか?、という問いに著者は答えられないと思うのだ。

だって、一回目の恋愛を経ている時点で、
「自分についての発見」という資源はほぼ掘り尽くしているわけで、
そうじゃない「発見」を共有していくしかないわけじゃん。
(この「発見」の共有というアイデア自体が悪いとは思わないけど、それを、内面に偏らせるのは危険だと思うわけ)


とすると、なんだ、森岡正博は、
モノガミーを称揚し、かつ初めて告白を受け入れてくれた相手(初恋の相手ではない。告白の段階で振られることに関しては森岡は織り込み済みなので)と添い遂げるべし、
というメッセージを発しているということになる。
なんじゃそりゃ、である。



ただ、「唯一性」だとかをあっけらかんと肯定するのではなく、
僕たちはこんなにも「複数性」に開かれているのに、
「唯一性」に憧れたり、それを相手から提示されることに腐心したり喜びを感じたり、
本当に困ったことだね。

というトーンで、

でも困ったものだからと言って「唯一性」への心性を「ないもの」とするのはしんどいことだというのはラディカルな主張の実践者のその後から学べることで、
じゃあ、個々がどのような形で折り合いをつけていけばよいのかしらね、
という話を書いてくれるなら、それは「のる」のだけど。


追記
草食男子本への反響 - 感じない男ブログ:

『草食系男子の恋愛学』の反響が、知り合いの方々から次々と届いている。で、いまのところ、女性たちからは非常に支持されているようだ。「こういう本を男性たちには読んでほしい、とくに肉食男子に」「こういう本で学習した男子だったら、いいかも」「読んでほしいので、息子に渡しました」などなど。男性向けに書いた本だったのだが、女性が読んでも、面白く読めるということらしい。

男性読者の意見は、これから徐々に出てくるのだろう。

しかし、女性たちがこんなに支持してくれるというのは、うれしいことだ。この本に書いてあるような関係性を、実際に男性に求めているということなのだろう。(もちろん本書の内容を相対化する意見もきちんといただきました)

今回の本は、「論」としてよりも、「実用書」として書いたので、こういう反響はうれしい限りである。



いや、この反響は、著者の本を経た「草食系」が求められてるんではなく、
「草食化」した男子が求められているだけって話じゃないのか?

肉食を草食化する本としてでなく、
草食系に育った人をどうにかする本を書いたつもりだったろうに。。。

この求められ方は、
「女性の品格」(読んだことないけど)は素晴らしかったので、嫁と娘と女性の上司の分も買って読ませることにしました、
的な消費のされ方と一緒じゃないのか?



『感じない男』についてはこれだけ入れ込んでた僕なので、ちょっとがっかり。
「正直」と「誠実」 「ネタ」と「ベタ」
吃驚
娘と息子は違って同じで
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まるごと好きです (ちくま文庫)
工藤 直子
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5 語られる出来事
4 おばさん、おじさんが「友だち」を語った本
5 まるごと世界が好きになる
5 誰かにとってよい友達になるには、その人をまるごと好きになるのがいちばん


ちくま文庫のところでウロウロしてて見つけた本。
なかなかに良い本であった。

普通に「ともだち論」かと思えばそうではなくって、
というのも著者の友達自身がことあるごとに口寄せのごく召喚されて、彼/彼女ら自身のともだち論を語るから。
ごくごく軽い意味で使いますけど「多声的」な本に仕上がっている。

もちろん、なんかAERAとかの雑誌っぽいというか、
AさんBさんCさんのコメントが順繰りに紹介されて、なんとなく話が転がっていくような構成といえなくもないけど。

例によって例の如く、ぐっときた部分を並べていきたいと思います。

「あ、そうか。それもそうだね」
これこそ、僕が人と話すときに目指している場所だなあと思う。
ゆきつくとこまでゆきついた、池に落とした石が底を打った、そういう地点。
それより先に進むのには、「存在」がかかってきてしまうような、
そこまで分け入ったことでお互いの「賭け金」は全てさらしてしまっていて、
お互いに「手打ち」にしてしまう場所。


「小間物屋」
ずっと小間物屋になりたいと思ってきた。
とはいえあくまで比喩上の話。
どういうイメージかというと、引き出しの中に「手頃な大きさの話」がふんだんに詰まっている人。

僕はある一定以上の人数の場では、
壁の花、もとい置物化してしまう人間なので、
そういうときにひょいひょいと手品のように繰り出せる小間物をもっていたらなあとずっと思ってきたわけです。
ああ、「海外経験」なんて引き出しのある人はいいなあとかひがみつつ。

でも、「今日も、小間物屋であった」と日記に書きこむ高校時代の著者の心情をのぞきこめば、
ああ、小間物屋には小間物屋なりの悩みがあるのだという、そういう当然のことも見えてくるわけだ。

ちなみに僕は、引出しはほとんどなくって、
雑然と処理中の課題が積まれまくって「デスクトップ」だけがあるのです。
(ハードディスクの容量は小さいし、フォルダわけも適当だけど、メモリ=作業スペースだけは割と広いんだぜという自画自賛?)


聞き手というノート。
これは一番考えさせられたところなのでしっかり引用。

こう考えてみると、聞き手というのは日記帳のようなものだ。相手は日記を書くかわりに、日記をしゃべっているわけである。だから「聞き手」というノートに、意見や忠告がやたらと書きこまれていたり、がさがさ驚いて動いたり、みんなに公開されたりすると、日記は書きづらい。「聞き手」ノートは、真白で、黙っているものが書きやすい。そんなノートをみんなが選ぶようなのだ。



この基準でいくと、僕は「聞き手=ノート」として完全に失格。
なにより鍵がしっかりかからない。

インタビュアーとしては悪くはないんじゃないかと思わなくもないし、
へっぽこカウンセラーではあると思うのだけど、
そのどちらにせよ問いという言葉は投げかけるわけで、それはよき「ノート」ではない。


日記、日常のこまごましたこと、夜空の星、ライナスの毛布、庭の滑り台のてっぺん。
人間の友達には明かせない自分を開ける「影の友達」を人は皆どこかに持つこと。
だとしたらこの「ブログ」に書いてく僕はなんなんだろう、とか。
裏表・・・ある気もするんだけどな。


多多益辦 たたますますべんず 十八史略 漢文 I think; therefore I am!
あれですね、漢の高祖には「あんたは十万の兵を率いる器」と言っておいて、
自分は「兵が多ければ多いほどよい」としれっと言ってのけるという。

僕も著者と同じく、好きな人が周りに多いほど舞い上がる方なので、
(知らない人の人数が多い場合は置物化だけど)
多多益辦とは決して言えません。

基本は一対一の一本釣り。


仲違い。
この世で一番怖いもの。


愛。
自分自身について、そんなに「降り注ぐ愛」は持てないなあと思った。今日のインドの授業でも。
僕は対面する関係の人たちで精いっぱいだし、
それでさえ「会う」時には上機嫌であるべきだ、なんてあっさり求めてしまっている。
余力があれば何かしてあげたいと思う時もあるけど、「絶対」ではない。

そして、継続的に付き合ってきてある程度深く知ってもいないし、継続的に付き合って自分の振る舞いに責任を撮る機会もない相手に対しては、
「愛」でなく、「敵対的でない」ことを持ってしか、対せないのではないか、とか。
その「存在」を認める、とかいう「寛容」のラインでしか。



人と「ネタ」にして面白い本は結構あるし、十人十色の感想のグラデーションが面白そうな本も多いけど、
少数精鋭で読み込んで話して面白そうな本って意外とハードル高いのかも知んない、とか。
小説の古典か、歴史的なもの、もしくは哲学的なテクストとかになっちゃうのかしら。

なんだろ、
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は絶対買って「ネタ」にはしちゃうけど、一冊でいけるのか?っていうと疑問、みたいな。

二冊、三冊の取り合わせの妙、って考え方/方向性しか浮かばないかも。

ああ、斎藤茂吉の特に晩年についてか、与謝野晶子と鉄幹についてか、
仏教関係のものか、もしくは朱子学・国学の接点的なものか、
その辺読んでみたいなあとは思いますけど。

仏教なら、末木文美士かしら。

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がかなりよい本だったので、そういう路線のがあればよいけど。

一人の人間に絞ってない歴史なら、
単なるザッピングになってなくて筋が通ってるやつ。

そういうのが「いい仕事」なんだなと、
求めてみて初めて分かる。
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っていう題名をよくgirl's blogで見かける気がします。
昨日までは死んでたけど寝て友達に会っておいしいもの食べて元気になった私、
って認知。

「落ち込み」を「仮死」的な状況として捉えて、
そのことで回復を早めるような技法って、
あんまり男性にはなじみがないような。

その辺と「化粧」や、「身体中の悪いものを全部外に流してきた」みたいな実践との関わり。
あと「泣く」ってこととか。

僕自身は「病んでる」って感じで引きづるより、
一回死んでまた再生して、ってアップダウンに親和的ですけど。

なかなかに、暴論な気もしますが。



集中講義が楽しくって、いろいろ考えます。

インドについての博論をベ−スにした授業なのですが、
カースト制度と絡みつつ「料理」には作った人の魂がつくし、
「食べる」とそれを受け入れることになるとかの理由で、
途中で「味見」が出来ないって話とか。

「市場」=匿名性、「コネ」=固有名という乱暴な切り分けが許されるなら、
その間での「市場」における「ブランド」に自分をするってのに興味を持つのかなあ僕は?とか。

マキャヴェリの「君主」って今なら「社長」とかかなあ。
糸井重里はじゃあ「君主」になっちゃったのかなあ、なんて。
はたらきたい。
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5 仕事がつらいと感じている人におススメ
2 糸井さんは好きなんですが・・・
2 外野からの理想論
5 未来の自分が変わる1冊
5 「はたらく」っていったいなんなんだ!と思っている方へ


ゼミ形式の授業だけど、
自分の意識を幽体離脱させては戻り、させては戻りって感じは前から好きです。

あと「市場」と「コネ(ネットワーク)」って話では「結婚」が今ホットなのは分かるんだけど、
ドット・コム・ラヴァーズ―ネットで出会うアメリカの女と男 (中公新書 (1954))
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5 知的女性のプライベート
4 恋愛に対する著者の姿勢が魅力の本です
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3 誰向けの本?
5 仰る通り
5 名レポート!(必読!)
4 統計とルポから読み解く今時の結婚事情
3 「婚活時代」が来る??


なかなか手が出ないっす。

このように「顔見知り性」が重要だった領域が「市場化」されていくのが近代のトレンドだとして、
でもミクロなレベルでは市場的でないつながりも模索されてるって状況は、
人類学者はともかくとして人類学的思考は必要とされる気がします。
ただ、人類学的思考は人類学者でなくても持てるってのが、専門性確立の上ではネックですね。
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昨日は午前中のデートに始まり、
ゼミコンパ、そして未明には友達とふたりでゆっくり話していたのでした。

なんで「二人」という最適な単位を知っているのにわざわざゼミに行くかを考えて、
それでもし答えが「二人」になりたい人を探すためだけの場だとしたら寂しすぎる。

寂しすぎるので考えてみると、ゼミは「修行」かもしれないというのは思い浮かぶ。

「二人」というのはどんなに高く意志を持っても、
「甘やかし合い」が入っているんだと思う。
いま「甘やかし愛」って変換されたけど。


僕は自分の「疑いえないもの」として「生理」を求めて、
最近あーだこーだ考えてみて、
◆人と継続的に「教授」という文脈で関わるのが好きなこと、
◆でも時に不安になり「匿名」での評価を求めてしまうこと、
◆その二つから自身を得て、「大切な人たち」との交わりに「承認」を期待しないこと、
を見つけたと思ったのだけど、
それは「新しく見つけたこと」だからクローズアップされてるだけで、
◆本を読むこと ◆書くこと ◆一定のルールの中で人と話すこと
っていうのとどう優先順位がつくのか、
自分でも整理がついてないのだと気付いて、
かつそれは問題かもしれないと思った。

前者を満たしている人の「武勇伝」に一瞬は心湧くのだけど、
それは僕のなりたいものではないのだ、実際。

ただ、日々、「二人」で話す時に、
後の三つは共有されすぎていて、
それはごくごく「当然のこと」になっていて、
「修行」でもしない限り、わかんないのだなって。


最近は、エネルギーの塊みたいなものが大切で、
「知性」ってのはその上のふりかけみたいなものだと思っていたけど、
僕は案外とそのふりかけにこだわってしまっているようなのだ。


「高速道路」とか「けものみち」とか憧れるけど、
僕自身は、そのどちらにもある「最短距離」みたいなのが苦手なのかも。



ただ、自分の中に「愚劣さ」「野蛮さ」「下品さ」を認めるのも事実で、
(今、ふと、それらなしで「盛り上がる」ことは可能か考えた。祝祭ってなに?)
その上に「化けの皮」が乗っかっているだけで、
僕にとっての「知性」は吹けば飛ぶようなもの。



ついでに、初発の動機と、実証性を求める学問ってとことんずれるなと思って、
まだよくわからないでいる。


もう一つ、デートの達成の一つだけ書けば、
「平面」から入るか「歴史」から入るかで、
「平面」からは困難だけど、ものごとが「リンク」していく喜び、
それが徐々に「物語」のていをなしていく喜びはあるのだと思う。

そして僕は、(世界観でなく)「お題」の共有主義者で、
「お題」がそれぞれの蓄積をフラットにして、「その場」を熱くするのを、
好きなんだなあとも思った。
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ふかふかの布団で眠りたい、
超豪華、とまでもいかなくていいから豪華なご飯を三食×4日間くらい食べたい、
夜中まで馬鹿だったりインテリだったりする会話で盛り上がりたい、
昼間には、ぱーっと遊んでしまいたい。

卒論の中間報告終わりました。

今日は二限の英詩の時間も楽しかったし、
三限のゼミも面白かったし、
幸せな一日になると思っていたのに。

ああ、もっと時間をかけてかわいがられたいんだな、自分は、と思った。

論文なんて書かずに、ずーっとおしゃべりしていたい。

もしくは、書けるもんなら今書いて、自由な半年間を過ごしてみたい。
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